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駆逐艦「子日」完成! [1/700子日]

最終回です。
デカールと張り線を少し、艦尾に旭日旗を掲げて完成です!

1/700 大日本帝国海軍 駆逐艦 子日(1933年9月就役時)
1/700 IJN Destroyer NENOHI (commissioned in Sep. 1933)
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各部詳細
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キットにはエッチングの銘板が付属しています。せっかくなので仕上げてみました。
コンパウンドで磨き、ラッカーの黒でスミ入れした後、アクリルのクリアーを吹いています。
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銘板の四隅は虫ピンで固定してます。穴径はは0.5mmです。一般的な事務用品の虫ピンは軸径が最小0.6mmなので、穴を拡張するか他の細い虫ピンを用意するかの2通りです。今回は昆虫採集の専門店から軸径0.4mmの虫ピンを取り寄せてみました。頭を金色に塗っています。
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メタルリギングの0.06号を入手したので張り線の一部に使用してみました。
のばしランナーよりも復元性に優れ、ピンと張った直線部分の表現に適していると思います。逆にたるんだ表現に使用すると固定点に応力が残ったままになり、しっかり固定しないと後日自然に外れてしまうかもしれません。
今回は、たるんだ部分の表現には従来ののばしランナー、直線部分の表現にはメタルリギング、という具合に使い分けてみました。
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グライプバンドはいつものように習字の半紙を使いましたが、茶色の油性マジックで着色しました。
取付けた後で気付きましたが、日光や蛍光灯の紫外線で退色するかもしれません。
実際の画像を見てみると、グライプバンドは白いものと黒っぽいものがありますね。素材は何なんでしょう。白っぽいのは柔道着みたいな厚手の木綿生地で黒っぽいのは麻生地でしょうか。
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キットについて
今回舷側のモールドは削り取りましたが、これは好みの問題ですので、どうするかは制作者の好みでいいと思います。
付属のエッチングがよくありません。できるかぎり使用してみましたが、精密かどうかは置いておくとしても、説明書に従ってもきちんと組み立てできないパーツがあるのは、製品として問題があると思います。
キット発売後3年たってますので、既にどこかで指摘されてるかもしれませんが、この「子日」、煙突の高さが1番煙突、2番煙突共に低いんじゃないかと思います。アオシマの大改修後「初春型」のキットは持ってないのですが、「日本海軍小艦艇ビジュアルガイド」の画像を見るかぎりでは、同じ程度の高さに見えます。「初春」「子日」は大改修で1番煙突を1m、2番煙突を1.5m、缶室通風筒の高さを0.3m短縮しているので、大改修の前後で同じ高さということはありえません。見える範囲では缶室通風筒の厚みも足りないので、これらの部分を見直すとより実物に近くなると思います。
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反省点
ボートダビットの幅がばらばらになってしまいました。
機銃座は資料を元にスクラッチしましたが、右舷側に張り出しすぎてしまいました。
前檣がやや高いです。あと1.5mm程度低く。
魚雷運搬軌条の変更をまったく見落としてました。完成後に気付くというお粗末さ。
どれも事前の検討不足に起因する問題です。仮組みなどでトータルバランスや修正点をしっかり確認することが重要です。これをやっていれば煙突の高さについてももっと早く気付けたかもしれません。


「初春」「子日」は就役時バルジを増設し、3番魚雷発射管を撤去した状態でしたが、アジ歴にある「初春」の港泊日誌の中からは、それを裏付ける記述は見当たりませんでした。
「初春」の港泊日誌は昭和8年7月1日から始まっていて、海軍に引き渡される9月30日までの間にドックに入渠している期間は、
 1)7月2日以前
 2)8月19日から9月4日まで
の期間になります。
工事内容の記述を信用するならば、2)の期間は外舷に関する記述はなく、ボイラー、タービン、復水器等、主機の開放メンテナンスのための入渠であったように思われます。1)の期間の記述は2日分しかないのですが、7月1日の工事内容に「外舷塗粧終了」とあるので、バルジは日誌が残っている7月以前に装備された可能性が高いと考えます。
3番魚雷発射管の取り外しはドック入りしていなくても可能ですが、これについてもそれらしい記述が見られませんでした。そうなるとこれも7月以前ということになるのですが、これらの改修が同時期に「子日」にも行われていたと仮定すると「ハンディ版日本海軍艦艇写真集…17」のp.8 ~ 9にある「子日」の写真の日付「昭和8年8月23日」「昭和8年9月」との整合性がとれなくなります。
ここで検討は行き詰まってしまいました。これに関する資料が他にあるのかもしれませんが、VANの手の届く範囲ではこれ以上突き詰めることはできませんでした。


就役から9ヶ月間だけでしたが、特異な形態の「初春型」が作りたかったので挑戦してみました。一応完成はしましたが、不満が多く残る結果となってしまいました。いずれ再チャレンジしてみたいと思います。また大改修後の「初春型」も制作して比較してみたいです。

駆逐艦「子日」を作る!  ー 完 ー


青島文化教材社 1/700 ウォーターラインシリーズ 日本海軍 駆逐艦 子日 1933 プラモデル 455

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  • 出版社/メーカー: 青島文化教材社(AOSHIMA)
  • メディア: おもちゃ&ホビー



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minekaze1920

こんにちは。「子日」の完成おめでとうございます!
いつもながら、VAN様流の緻密な細部工作が素晴らしく、完成度の高い作品ですね。拙作の「初春」と見比べると、素材がほぼ同じキットなのに印象がだいぶ違って見えます。模型制作の面白いところですね。

さて、バルジの装着時期については、私も疑問に感じていたところですが、VAN様の記事を拝読して更に謎が深まりました……。
8月23日の竣工前公試結果で急遽バルジ装着が決定し、装着工事と再公試が全て完了した9月30日で就役、海軍に引き渡しという流れが自然ではないかと私的に思うのですが、いかがでしょう。

参考までに、福井静夫著の『日本駆逐艦物語』138頁には、“子日は昭和八年九月十八日の十分の八全力の旋回力公試では、最大傾斜二七度にたっし、初春とともにいったん九月三十日に引き渡しを行なったうえで、ただちに舷側にバルジを新設してGM値の増加を計った。(以上引用)”という記述があります。
この場合、アジ歴の日誌内容と整合性はとれます。ただ、十月初旬に撮影されたというバルジ付きの写真が残されているので、たった数日間で新設工事が完了するのだろうか? という疑問がありますね。
by minekaze1920 (2014-03-02 14:46) 

VAN

minekaze1920さん、こんばんは。
ありがとうございます。

バルジの装備時期について、「初春」の港泊日誌の記録を正とするならば、本文にも書いたとおり「7月以前」ということになってしまうのですが、何らかの理由(おそらくは機密扱い)により日誌には記載されなかった、あるいは日誌が差し替えられたのではないか、という可能性も捨てきれないんですよね。 そうなると8月19日〜9月14日の入渠期間があやしいのではないか、と考えています。
「子日」は9月30日浦賀船渠で引き渡され、佐世保まで回航されて10月7日には「初春」と合流していますので、 移動時間を考えるとminekaze1920さんのご考察のとおりかなりタイトな工事期間になりますね。いずれにしても、公式の記録が信用できないとなると、もうなにも信用できない状態です。まさにお手上げ!(笑)
福井氏の記述や他の二次資料本についてもそうなんですが、引用元を記載してほしいです。どこから引用したのかがわかれば、さらに考察を深める手がかりになると考えるのですが…。このことが学術的考察が一向に進まない一因だと考えています。
by VAN (2014-03-04 23:23) 

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