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軽巡洋艦 阿武隈を作る [1/700阿武隈]

新展開です。軽巡洋艦阿武隈を作ります。
前回の軽巡多摩の記事は、そう!前フリです!

多摩を作ったあと、エッチングパーツがだいぶ余っていたので
「いつか阿武隈も作らなきゃなあ」と漠然と思っていたのですが、今がそのときです。

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キットはタミヤのウォーターラインシリーズです。
最近のキットらしくモールドもとても精密にできています。

使用する主なエッチングパーツは
1) 日本海軍艦船用手摺 FH700019(フライホーク)
2) 日本海軍ラジアルボートダビットセット AM-13(ファインモールド)
3) ウォーターライン専用パーツ 絡車セットA 3S-05(ハセガワ)
4) 5500t型 軽巡洋艦ディティールアップパーツ AM-45(ファインモールド)
5) 艦船エッチングパーツ 日本海軍 軽巡洋艦 阿武隈用 JPE75(ジョーワールド)
6) 超極細チェーン(フラグシップ)
です。
なんだかたくさんですが、新しく購入したのは3)の絡車セットだけで、
残りは今までに使用したものの余りです。
エッチングパーツをいちから新規に購入する場合は1)4)5)6)あたりでいいと思います。

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参考資料です。
大日本絵画刊 月刊モデルグラフィックス 2008年10月号 特集:1/700工作革命
モデルアート刊 モデルアート別冊 季刊艦船模型スペシャル No.27 特集:北方作戦
光人社刊 雑誌「丸」編集部編 ハンディ版 日本海軍艦艇写真集 14 軽巡 長良型
そのほかジョーワールドのエッチングパーツの説明書等を参考にしました。

艦スペにはアッツ島沖海戦時、モデルグラフィックスには真珠湾攻撃時と
レイテ沖海戦時の作例があります。
同じものを作っても面白くないので、今回はキスカ島撤収作戦時1943年(昭和18年)7月を
作ってみたいと思います。
キスカ島撤収作戦のため幌筵を出港した7月22日を完成目標にして作っていきます。

参考資料などをもとに考証をしてみます。
特にモデルグラフィックスのp.35に開戦時から最終時までの詳細な検証があり
非常に役立ちました。

阿武隈(1943年(昭和18年)7月)主な変更点
 ・艦橋両舷の1.5m測距儀の位置変更
 ・5番砲撤去。付近両舷に25mm三連装機銃設置。
 ・下段舷窓を閉止。
 ・21号7型電探の設置。
 ・カタパルト両脇に大型発動機艇、小型発動機艇それぞれ1艘ずつ設置。
 ・後部甲板に土嚢に囲まれた7cm野戦高角砲設置。
 ・上甲板予備フロート台撤去。
 ・艦橋廻りにマントレット追加。

以上の点を中心にディティールアップをしていきたいと思います。



タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.349 日本海軍 軽巡洋艦 阿武隈 プラモデル 31349

タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.349 日本海軍 軽巡洋艦 阿武隈 プラモデル 31349

  • 出版社/メーカー: タミヤ(TAMIYA)
  • メディア: おもちゃ&ホビー



船体の工作(1) [1/700阿武隈]

まず船体からはじめようと思います。
舷窓モールドを0.5ミリピンバイスで開口していきます。
改装してなくなった前部魚雷発射管部分は兵員室となったそうで
片舷4つずつ舷窓を追加します。

短艇甲板側の舷窓に物差しを合わせて、コンパスの針などでごく薄く中心線をケガキます。
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その線に沿って針でガイド穴の中心を決めていきます。
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製図用コンパスがあると簡単に等間隔のマーキングができます。
ピンバイスで開口して、バリをペーパーがけしてとる過程でケガキ線は消えてしまいます。
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知苦労度さんのHPで指摘されていた、艦首付近の舷窓の抜けも反映させていただきました。
艦首付近下段の舷窓はあとで閉止しますが、まずは0.6ミリピンバイスで開口します。
理由はあとで説明します。
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艦首のフェアリーダも0.5ミリピンバイスで開口しました。
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予備フロート台を撤去します。
1941年(昭和16年)12月7日0530時、真珠湾に向けて驀進する阿武隈の姿を
左舷後方よりとらえた写真が残っています。
それを見る限りではフロート台はないように見受けられます。
モデルグラフィックスの検証記事の中でも指摘されており、第3煙突後部には
「中型の通風塔が2基、やや小ぶりの通風塔が1基、キャンバスに包まれた構造物と
かまぼこ型の構造物があった。」とされています。
1次資料にあたることができないし、言葉で書かれても配置がピンとこないのですが、
とりあえず無いものとしてその部分は平らにしておこうと思います。

ニッパー、カッターを使って大まかに削り取ります。大穴が空きます。
肉厚なので、カッターが滑って怪我をしないように注意です。
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甲板の裏にプラ板を裏打ちして表の穴の部分をプラ板とパテで埋めていきます。
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と、ここでなんとなくいやな予感がしたので、
舷側と内側の魚雷発射管を仮組みして上甲板をかぶせてみます。
やっぱりです。裏打ちしたプラ板が魚雷発射管と干渉して上甲板が浮いてしまいます。
この部分のクリアランスはかなりシビアなので注意が必要です。
裏打ちのプラ板をはがして、穴の内寸に合わせてカットしたプラ板を
埋め込むようにしました。これで大丈夫です。
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表側は、プラ板をある程度詰め込んだ後パテ埋めしてペーパーがけしました。
その際消えてしまったリノリウム押さえは、のばしランナーで復旧しました。
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艦首付近です。金属チェーンに置き換えるのでモールドを削ります。
最終的には隠れてしまうので、あまり神経質になって平らにする必要はないと思います。
キャプスタンのモールドを生かしたかったので、一度ニッパーで切り離した後、
0.2ミリ真鍮線の軸を取付けて復旧しました。
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うわっ、なんか長くなっちゃいました…。
簡潔明瞭なブログを目指していたはずなのに…。

船体の工作(2) [1/700阿武隈]

船体の続きです。
組み立てる前にあらかじめ魚雷甲板部を塗装しておきます。
魚雷も塗ってみましたが、組み立てるとまったく見えません!
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鋼板の継ぎ目を表現するために舷側にマスキングをしてサーフェイサーを吹き付けました。
魚雷甲板にサーフェイサーが吹き込まないように注意です。
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セルター甲板です。5番砲の穴をのばしランナーで塞ぎます。
ターレットはそのまま残っていただろうと考え、モールドは残しておきます。

5番砲、6番砲の間の右舷側は外側にもう少し張り出しており、
その下にブラストスクリーン(爆風避け)が付いていたそうです。
昭和10年頃の画像をよく見てみると、確かに壁が二重構造になっている事がわかります。
今回はここも再現してみようと思います。
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なんでここだけこのような構造になっているのかはよくわかりません。

艦首付近の下段舷窓です。前回0.6ミリピンバイスで開口した部分に、
ライオンロアの雪風のエッチングパーツで余った丸窓閉止板を取付けます。
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雪風天一号作戦時制作のときに使用したのですが、この閉止板は厚みがあり、
円錐台の形をしていて、周囲にギザギザのモールドが付いています。
簡単に言うと、富士山のような、アポロチョコのピンクの部分を取り除いたような形です。

雪風の完成写真を見て頂くとわかりますが、イボのように突き出ていて
外観があまりよくありません。ギザギザはおそらく溶接ビートを表しているのでしょうが
はっきり言って1/700ではオーバースケールです。
そこで今回はこのエッチングパーツを裏返して使用し、
0.6ミリ径の穴にギザギザの部分を隠すように取付けてみました。
飛び出した感じがなくなり良くなったと思います。

今回はここまでです。

船体の工作(3) [1/700阿武隈]

甲板のリノリウムを塗装します。
今まで使っていたレッドブラウンが切れたので、
今回からXF-79リノリウム甲板色を使用します。
レッドブラウンより一段明るめの茶色です。
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魚雷発射管にリノリウム色が吹き込まない様にマスキングをして剥がしたところ
サーフェイサーのきわが剥がれてしまいました…。
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リノリウムの部分をマスキングしていきます。
マスキングテープは主にタミヤのものを使用しています。
塗装面に糊残りがなく、気に入っています。
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マスキング1日目。

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2日目…。

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3日目。心が折れそう…。ボスケテ!!

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4日目。やっと終わりました!
軽巡多摩の時は7日かかったので、これでも速くなった方です。
これで次の工程に移れます。

船体の工作(4) [1/700阿武隈]

だいたい月に10回くらい更新できればいいな、と思っていたのですが、
このペースでは今月は達成できそうもないですね。
手は動かしているのですが、なかなか記事になるほどの形になりません。

引き続き船体の工作です。
リノリウム部分のマスキング後、舷側手摺、魚雷搬入ダビット、ラジアルダビット基部、
旗竿、錨鎖、電信測定器などエッチングパーツや金属部品を取付けます。

取付後、船体にグレーを吹きます。XF-53ニュートラルグレーを使用しました。
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後部甲板に絡車設置後、セルター甲板を接着します。
本体とセルター甲板との接合部は、のばしランナーを流し込み接着剤で接着し、
目立たないようにしました。乾燥後はリノリウム色でタッチアップします。
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喫水線部分をハルレッドで塗装して船体の大まかな作業は完成です。
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金属チェーンに置き換えた錨鎖甲板はこんな感じ。
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セルター甲板の変更箇所はこんな感じになりました。
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今回使用したエッチングパーツ、日本海軍艦船用手摺 FH700019(フライホーク)について
注意点がありましたので記しておきます。
このエッチングパーツですが図で示すとこんな感じです。
きたない絵でスミマセン。
001.jpg
一見普通の手摺ですが、矢視断面を見ると、高さよりも幅の方が広い事がわかります。
このため、a-a方向には曲げやすく、b-b方向には曲げにくいという特徴があります。
角度の小さい折り曲げが難しく、艦橋廻りなど、細かな加工を必要とする箇所には
向きません。
一方、直線の状態を保ちやすく、舷側部など直線的な部分には向いています。
接着面も広いので、しっかりと接着面に直立させる事ができます。

次は煙突廻りの制作に移ります。

煙突廻りの制作 [1/700阿武隈]

煙突の制作です。

煙胴のパーツとファンネルキャップのパーツを接着し、ファンネルキャップのモールドを
大まかに切り取った後、0.6ミリ、0.8ミリ、1.2ミリピンバイス、丸ヤスリ、四角ヤスリ、
甲丸ヤスリなどを使って、徐々に穴を拡げていきました。
ヤスリ作業では、強いモーメントがキットに加わるので、パーツ同士の接着は
流し込み接着剤などを使ってしっかり行い、よく乾燥させてから開口作業を
行うようにしましょう。最後に800番の耐水ペーパーを丸めて内面を整えました。
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あらかじめ煙突内面を簡単にツヤ消し黒で塗装した後、0.1ミリ銅線で
ファンネルキャップを取付けました。
雪風の時よりも煙突の径が大きいのでそれほど難しくはありませんでした。
(それでも2、3回やり直しましたが…)
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作業性を考えて、通風塔兼測距儀台はここまで作り込んでから取付けました。
アップで見るとキャンバスがけっこうガタガタ…。
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煙突を塗装し、船体に取付けます。
甲板に対して垂直に立っているか、3本の煙突をよく見比べながら取付けました。
「垂直に取付けるべきものは垂直に」「水平に取付けるべきものは水平に」
この点を注意するだけで、多少出来は荒くても、完成後の全体から与えられる印象は
全く違うものになります(と思うのです)。

キスカ撤収作戦時、第2煙突は白く塗られていました。
真っ白というのもなんだかなー、と思ったので、ファンネルキャップ廻りだけ
少しすすけた感じにしてみました。第1煙突には汽笛管(?)を追加しました。
DSC01608.JPG

ファンネルキャップの銅線はとても弱いので、取付後はぶつけたりしないよう
細心の注意を払いましょう!!

次回は艦橋の制作です。

艦橋の工作(1) [1/700阿武隈]

艦橋の制作に移ります。

組み立て前に丸窓の追加、エッチングパーツの取付け、
艦橋窓モールドの切除を行いました。測距儀の取付穴はプラ板で塞ぎます。
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鈴木かひろ氏の考証によれば、北方作戦時には艦橋両舷の1.5m測距儀が移設されていた
資料が紹介されています。また、移設前の測距儀の位置に探照灯が設置されていた、
ともあります。
なぜこのような改造を行う必要があったのか、自分なりに考察してみました。

1)霧の多い北太平洋では、視界が悪く遠くまで見渡す事ができないため、
  高い位置(遠くまで見渡せる位置)に測距儀は必要ない。
2)同様に視界が悪い海域を夜間に航海するためには探照灯を多く設置して
  哨戒した方がよい。
おおむねこのような理由ではなかったかと思います。

と、ここまで考えたところで、測距儀の移設よりも、探照灯の増設の方が
艦にとっては大きな意味があるような気がしてきました。
当初は1.5m測距儀を移設するだけで、探照灯の設置はスルーするつもりでしたが、
急遽探照灯の増設もやってみたいと思います。

0.3ミリプラ板を2ミリ径のポンチで打ち抜き、半円に切って底板にして、
まわりに2ミリ幅のプラストライプを巻き付けて接着しました。
実際このような形状であったかどうかはわかりません。想像で作りました。
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艦橋を組み立てます。塗装の事を考えて説明書どおりの組み立てをしていません。
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土日をかけて各フロアに手摺、ラッタルを取付けました。
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艦橋の工作(2) [1/700阿武隈]

蒸し暑くなってきました。なかなか作業もはかどりません。
引き続き艦橋の制作です。

リノリウムにかからない角度からグレーをブラシで吹き、ブラシが回らないところは
筆塗りでタッチアップしました。
双眼望遠鏡を艦橋各所に取付けました。エッチングの手摺を付けると、
スタンドの高さが足りないので、のばしランナーでかさ上げしてあります。
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中段ステージ裏には、パラベーンを取付けました。
昭和16年真珠湾攻撃時の画像を参考にしています。
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各パーツを接着、舷灯を塗り分け、キャンバスを張りました。
1.5m測距儀の位置を下げ、元あった位置に探照灯を取付けました。
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あとはマントレットを取付けるだけです。

艤装(1) [1/700阿武隈]

暑いです!もーたまらんクーラー全開!! …寒い!!
艦橋の続きと思いきや、平行作業でちょこちょこ進めていた艤装の報告です。

連装機銃、三連装機銃はファインモールド製を使用しました。
キスカ撤収作戦で防盾を装備したそうですので、
プラストライプを1ミリ幅でカットして取付けました。
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取付け状態です。連装は半丸、三連装のほうは角形のブルワークがついてたそうなので
エッチングパーツの枠から使えそうな約1ミリ幅の真鍮板をカットして使用しました。
今回は省略していますが、半丸のブルワークは実際には舷側よりも
わずかに外側にはみ出していたようです。
角形のブルワークもこのような四角ではなく、八角形だったかもしれません。
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後部側です。
0.5ミリ幅のプラストライプを使ってセルター甲板支柱を取付けました。
ジョーワールドのエッチングパーツがありますが、
それは多摩で使ってしまったので今回は自作です。
塗装前にあらかじめセルター甲板の側面に薄く印を付けており、
それを目印に支柱を取付けています。
後部甲板の手摺をもう少し内側に付けて支柱の取付けしろを
確保しないといけなかったようです。少し飛び出た感じになってしまいました。

艦スペNo.27の衣島尚一氏の解説に
「後部甲板に土嚢に囲まれた7センチ野戦高角砲があった」とありますが、
明確な設置位置については言及されてません。
おそらく後日三連装機銃が設置されていた場所ではないかと推測して
その位置に台座を設置しました。
ジョーワールドの阿武隈用エッチングパーツOP6を使っていますが、
本来はカタパルトを外した後に設置した機銃座の床面に使用するパーツです。
DSC01663.JPG

右舷側のラッタル位置をカタパルト基部周辺に変更しました。
鈴木かひろ氏の考証によると
「魚雷発射管室とセルター甲板下の調整所の間は壁がなかった」とされています。
今回の制作ではこの部分の工作は省略していますが、壁がない場合のラッタル位置は
このようになるそうです。
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今回はここまでです。

艦橋の工作(3) [1/700阿武隈]

蒸し暑かったのでクーラー付けっぱなしにして寝たら
案の定、風邪をひいてしまいました。読者の皆様もお気をつけ下さいませ。

艦橋にマントレットを取付けます。
そのまえにマントレットって何でしょう?ということでいろいろ調べてみると
どうやら吊床、いわゆるハンモックのことのようです。
中に毛布を詰めたキャンバス地の吊床を固く縛り、
それを艦橋のまわりにぶら下げて、機銃弾や砲弾の破片避けとしたそうです。
また、艦が沈んだ時などは浮き輪代わりにもなり、しばらくは掴まって
浮いていられるのですが、固く縛ってないとしだいにばらけてしまい
長く浮いている事が出来ないそうです。
そんなものですから、新兵訓練の起床時にこの吊床を早く、固く縛る訓練を
いやというほどやらされるそうです。

さて、制作の方です。マントレットをなにで作るかいろいろと考えてみました。
モデルグラフィックスの作例では1ミリ径のプラ棒を使っていましたが、
真珠湾攻撃時の艦橋の写真と見比べてみると、かなり太く感じます。
それにマントレットが重なったり曲がったり、径にばらつきがあったり、
そんな感じを表現したかったので、
今回はエポキシパテを使って作ってみることにします。
初めてやってみたので、いろいろと試行錯誤の連続でした。

使用したのはタミヤのエポキシ造形パテ(高密度タイプ)です。
まずエポキシパテを練り、0.5-0.8ミリくらいの紐状にします。
紐状に延ばしたものをマスキングテープの上に置き、しばらく硬化させます。
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この硬化時間がけっこう重要で、気温や湿度など環境によって
異なるとは思いますが、今回やった経験から言うと、
だいたい1時間半から2時間くらいです。
これより早いと、柔らかすぎて作業にならず、またこれより遅いと固くなりすぎ
曲げや重なりを表現するのが難しくなってしまいます。

半乾きになったパテの紐をデザインナイフでマントレットの長さに切り、
横につなげます。バラのものから2〜4連ものまで作りました。
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まっすぐに並んだものや、ちょっと曲がったもの、重なったものなど、
余ってもいいので多めに作ります。
完成後、その中から出来の良いものをチョイスして使用します。
完全に硬化したあと、ツヤ消し白とセイルカラーを5:1で混ぜ
調色したものを全体に吹いて、マントレットは完成です。

艦橋の胴回りに0.1ミリの銅線を巡らせて、
その下に作ったマントレットを配置していきます。
こんな感じになりました。
DSC01686.JPG

プラ棒よりは密度が上がっていい感じですが、
アップで見るとちょっと雑な感じもしますね…。まあいいか!

船体に乗せてみます。
DSC01684.JPG

ついでにマストの擦り合わせもやっておきます。
ちゃんと直立するようでよかったです。
まだ接着してはいけません。取付は3番4番砲を付けてからです。
艦橋はケースに入れて保管しておきます。

艤装(2) [1/700阿武隈]

艤装の続きです。

艦載艇の制作です。
小型発動機艇はジャンクパーツの中から見つけましたが、大型発動機艇がありません。
大型の艦船を作っている人なら1つや2つは余っていると思いますが、
VANは大型艦を作った事がないので持ってません。
装備品セットでは私の知る限りピットロードから出ていますが、
1,000円弱します。大発だけ取るのに1,000円はちと高いです。
そう思いながら模型店の棚を物色していると、ちょうどいいのがありました。
静協のタグボートセットです。これなら400円くらいで手に入ります。
ただし、ウォーターラインなので船底がありません。
そこで、0.5ミリのプラ板で船底を作りました。
のばしランナーで舷側のモールドを追加しました。
DSC01688.JPG

その他の艦載艇は、11m、12m内火艇を降ろし、11m、12m内火ランチを搭載。
9mカッター1艘を降ろし、11m内火ランチを搭載しました。
「こうだった」というような資料はないですが、大量の兵員を、
とにかく迅速に収容するという作戦内容を考えてこうしました。(※1下記追記参照)
DSC01704.JPG

カタパルトはジョーワールドの阿武隈用エッチングパーツを使用しました。
多摩の方でファインモールドのカタパルトを使用しましたが、
精密さではこちらの方に軍配が上がります。
キスカ島の湾内に入った阿武隈の画像を見ると艦載機は搭載していないようなので、
飛行艇は乗せない事にします。
DSC01697.JPG

14cm単装砲です。砲身が若干太めなので、耐水ペーパーをかけてやや細くしました。
キャンバスの部分ですが、はじめはエポキシパテで作ってみようとやってみましたが
どうもうまくいかず、軽巡多摩同様にティッシュペーパーと木工用ボンドで作る方法に
変更しました。個人的にはこっちの方が手軽でやりやすいです。
この単装砲はポリキャップにはめ込まれるようになっており、
自在に砲塔が回転するようになっていますが、
知苦労度氏もご指摘のとおり、この部分がたいへんきつくなっていて、
取付時に破損してしまう恐れがあります。
よって、サンドペーパーかナイフで砲塔の軸を削り、
少し細くしてから取付ける事をお勧めします。
VANもサボイア制作時の悲しいトラブルを思い出して、事なきを得ました!
DSC01707.JPG

後部甲板に土嚢と7cm野戦高角砲を取付けました。
野戦高角砲はジャンクパーツからそれらしいものを取付け、
土嚢はエポキシパテから作りました。(※2下記追記参照)
DSC01727.JPG

ほかラジアルダビット、荷役用ダビットを取付けました。艦首、艦尾側から見た時、
並びがガタガタにならないよう気をつけましょう。
ダビットはエッチングパーツですが、今月下旬にファインモールドの
ナノドレッドシリーズでラジアルダビットセットが発売されるようです。
今後機会があればそちらも使ってみたいですね。
エッチングパーツは組み立てるのがけっこうめんどくさいです。
DSC01721.JPG

だいぶ軍艦らしくなってきました!

(※1追記)艦載艇および追加搭載舟艇について
「大発1隻、小発1隻」を追加搭載し、既存の艦載艇を大幅に入れ替えましたが、
「機密水雷部隊命令作第四号」において、撤収作戦要領が示されており、それによれば
阿武隈は「小発2隻」を追加搭載する、となっています。
また、兵員の収容手順について「阿武隈は自艦小発2隻、現地大発4隻」を使用する、
としています。
それ以外の艦載艇を使用する要領になっていないことから、
元からあった艦載艇については変更はなかったものと考えます。
詳細はアジア歴史資料センターから
「昭和18年6月1日〜昭和18年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(3)」
(レファレンスコード:C08030084600)P.12〜14を参照ください。

(※2追記)後部甲板に設置された野戦高角砲について
実際には、松の丸太で5角形状に組まれた防盾の中心に、野戦高角砲が設置されており、
その間に砂嚢(土嚢)が敷き詰められていました。
詳細はアジア歴史資料センターから
「昭和18年7月22日〜昭和18年8月31日 第1水雷戦隊戦時日誌 戦闘詳報(3)」
(レファレンスコード:C08030085100)内、P.26〜28
「軽巡後甲板七糎野戦高角砲仮装備要領(阿武隈ノ例)」を参照ください。
(追記終わり)2010/01/28


マストの制作 [1/700阿武隈]

作業も終わりに近づいてきました。マストの制作に移ります。

マストにエッチングパーツを取付け塗装します。
塗装後、ティッシュペーパーのキャンバスを張ります。 
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前檣です。横桁に付く2kW信号灯はクリアののばしランナーで作りました。
窓枠、21号電探はジョーワールドの阿武隈用エッチングパーツから、
フットロープはピットロードのエッチングパーツ、軍艦一般装備(PE-01)を
使用してます。
DSC01737.JPG

後檣です。ここまで組上げてから取付けることにしました。
艦尾信号灯はのばしランナーと瞬間接着剤で作りました。
DSC01733.JPG

飛行艇用デリックのブームはジョーワールドのエッチングパーツで用意されていますが、
多摩で使ってしまいましたので、キットパーツのままでいきます。
多摩の完成画像を見て頂けるとわかると思いますが、
とても繊細で、見栄えのする部分ですので、できれば置き換えてみたい部分です。

ブームのモールドを強調するためにエナメル塗料のジャーマングレーで墨入れをしました。
でもこれ凹凸の表現が逆ですね。
トラスの部分が凹になっていて、空間になってる部分が凸になってます。
DSC01734.JPG

垂直水平に気をつけながら取付けます。
DSC01741.JPG

あとは、ウェザリングと細部の仕上げです。

仕上げ [1/700阿武隈]

各所の仕上げを行いました。
黒ののばしランナーを使って各所に少しだけ張り線をしてみました。
クリアののばしランナーを使って信号灯などを付けてみました。

前檣
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ファインモールドの日本海軍ラジアルボートダビットセット(小型艦用)(AM-13)に、
なぜか舵柄信号標識板が付いていたので、後檣に取付けてみました。
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繋船桁
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艦尾旗竿
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舷側をエナメル塗料の焦げ茶でウェザリングしました。今回は控えめです。
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艦橋と第1煙突の間と、予備フロート台を撤去した甲板上が
なんだか寂しかったので、資材を作ってみました。

キャンバスに包まれた箱は、プラ材で適当な大きさの箱を作り、
その上にティッシュペーパーをかぶせ、水で薄めた木工用ボンドで全体を固め、
乾燥後にツヤ消し白でキャンバスを塗装したものです。
ドラム缶は1ミリ径のプラ棒を切って集めたもの、ロープは0.1ミリ銅線を
適当な心材に巻き付けてコイル状にしてからプライヤーでぎゅっと挟むと
こんな感じになります。
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次回で最終回です。

奇跡の作戦 [1/700阿武隈]

いよいよ最終回になりました。
旭日旗を揚げて、艦首の菊花紋章を金色に塗って完成です!
いつも最後にこの工程を残しています。
最後にこれをやると「完成した!」って気分になるのです。

大日本帝国海軍 軽巡洋艦 阿武隈 キスカ島撤収作戦時(1943年(昭和18年)7月)
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今回の制作にあたっての反省点を少し挙げます。
1)せっかくプラストライプを買ったのだから、煙突のファンネルキャップ内部に
  整流板を付けるべきだった。
2)セルター甲板下の両舷魚雷調整所は本来貫通しているが、工作を省略するならば、
  ジャーマングレーなど濃いグレーを塗って陰影を付けるべきだった。
3)第3煙突からループアンテナまでの間にある構造物について、
  予備フロート台を撤去しただけで、その他の構造物についての検証が不十分だった。

いずれも工作が終わった後になって気付いた部分です。
やはり着手する前に十分な検討が必要ですね。


最後にキスカ島撤収作戦のあらましを簡単に説明します。
ご存知の方はスルーしてください。本当は初回にやっておくべきでした…。

 1942年(昭和17年)6月、日本軍は北太平洋において、アメリカ領であるアッツ島、キスカ島を占領しますが、すぐさま米軍の反攻を受けます。翌年5月、米軍はアッツ島に上陸。残存の守備隊は、最後にバンザイ突撃を敢行し、玉砕。アッツ島は米軍に再占領されます。
 一方、大本営はアッツ島放棄決定の3日後、キスカ島の撤収を指示、「ケ号作戦」が発動されます。当初は潜水艦による輸送がなされましたが、まったくはかどらず、米軍のレーダー射撃や座礁などにより、1ヶ月で潜水艦3隻を喪失する事態となります。
 そこで、輸送を潜水艦から水上艦艇に変更、濃霧にまぎれてキスカ島に接近する作戦に切り替えます。1943年(昭和18年)7月7日、木村昌福少将を司令官とする軽巡洋艦阿武隈、木曽、他駆逐艦11隻は幌筵を出港、キスカ島を目指しますが、途中霧が晴れてしまい、なかなか突入することが出来ません。燃料の少なくなった7月15日、キスカ突入を断念、幌筵に反転帰投します。
 手ぶらで帰ってきた木村少将への批判は凄まじく、第5艦隊司令部、連合艦隊司令部、はては大本営からも轟々の非難を浴びます。が、木村少将はそれに耐え、じっと次の突入の機会をうかがいます。
 7月22日、幌筵気象台より「7月25日以降、キスカ島周辺に濃霧が発生する」との予報を得た木村少将はその日の夜に幌筵から撤収艦隊を出港させます。
 一方米軍は、8月15日予定のキスカ島上陸作戦に向けて、島周辺の海上封鎖を行っていました。7月26日、戦艦ミシシッピーのレーダーが濃霧の中に艦影を発見、艦隊は直ちにレーダー射撃を開始。40分後、反応が消失したため、敵艦隊を撃滅したと判断。補給のため、艦隊を一時引き上げます。ところがこれはまったくの誤探知であり、ありもしない幻の艦隊を砲撃していたのです。さらに米軍は艦隊を引き上げる際、キスカ島周辺の哨戒にあたる駆逐艦まで引き上げてしまったので、一時的にキスカ島の周辺海域はガラ空きとなったのです。
 それを知ってか知らずか、7月28日、木村少将はキスカ島突入を決意。米艦隊を警戒して、南から直接湾内に向かわずに、島の北側を大きく迂回して、翌7月29日1200時、ついにキスカ湾突入に成功します。1340時投錨。待ち構えていたキスカ守備隊5,200名を、用意した大発でピストン輸送し、わずか55分で収容。1435時、撤収艦隊はキスカ島を出航。8月1日までに全艦無事幌筵に帰投します。
 一方、補給を終えた米艦隊は、7月30日よりキスカ島周辺の封鎖を再開。もぬけの殻となったキスカ島に向けて艦砲射撃を行い、8月15日、艦艇100隻余りを動員して、予定通り上陸作戦を開始します。濃霧と極度の緊張の中、同士討ちが多発。50名余りの死傷者を出して、キスカ島再占領を果たしたのでした。


これは「太平洋奇跡の作戦 キスカ」(1965年 東宝)として映画にもなっており、
木村少将(作品内での役名は違いますが)を、名優三船敏郎が好演しています。
フィクションの部分だとは思いますが、誰も通ったことのないキスカ島の北側沿岸を、
おっかなびっくり操艦する阿武隈の艦長を見かねて、
「艦長、少し舵をもらうぞ」と自ら操艦の指示を出すシーンがとても印象的でした。
特撮パートを円谷英二が担当しており、艦隊が単縦陣で航行する特撮シーンは圧巻です。
ただ、艦の個別の考証はあまりしていないようで、模型の資料としては使えませんが。

誰の言葉か忘れましたが、「戦(いくさ)の神髄は戦わずして勝つことにある」
という言葉を思い出します。
大戦中は様々な大作戦がありましたが、おおむねどれも負け戦です。
戦争に負けたのですから当たり前の話なのですが、
そんな中でも、このキスカ島撤収作戦は、大いなる天の采配があったとはいえ、
希望の光の見える、数少ない不戦の勝利だったと思うのです。

軽巡洋艦阿武隈を作る 完

DSC01793.JPG
…ん? 阿武隈の右舷に見える艦影はもしかして…。
逃げてー!!阿武隈逃げてぇぇぇー!!

次回、緊迫の急展開!? 刮目して待て!!


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