そんな大それた話ではないのですが、少々お付き合いを。

埼玉県さいたま市見沼区(旧大宮市砂町)に砂団地という昭和30年代に建てられた団地がありまして、その中に公園があり、都電の車両(路面電車)1台と実物の飛行機が1機置いてありました。近所に住むVANや子供たちは皆その飛行機を「零戦」と呼び、よくそこで遊んでいました。
大人になって、いったいあの飛行機はなんだったのだろうと気になり出し、調べてみることにしました。

当時の記憶をたどってみると、VANが遊んだ昭和40年代後半〜50年代初頭の時点で、
 ・機体は金属製の単葉機。
 ・複座型。
 ・星型エンジン。(エンジンカウルは無くなっていた)
 ・プロペラは金属製。スピナーは元からないか脱落したか付いていない。
 ・塗装は全て剥げて地金が露出。機内塗装は薄い緑色。
と、確実な部分はこのくらいしか覚えがありません。
複座である時点で「零戦」の可能性は消えてるのですが、プロペラが何枚だったか、ランディングギアが引き込み式であったかどうか、記憶が曖昧で判然としません。

国土地理院ホームページ内の「地図・空中写真閲覧サービス」を利用してみます。
1974(昭和49)年12月26日撮影の航空写真に小さいながら写っています。

(出典:国土地理院 写真番号:CKT7415-C5-19)


ただ、これだけでは機種を特定する決め手に欠け、ここで調査は行き詰まってしまいました。
その後しばらくこの件は放置していたのですが、さいたま市立図書館のホームページで「レファレンスサービス」というものがあることを知り、利用してみることにしました。
レファレンスサービスとは、都道府県や市町村などの公立図書館で資料を探す手伝いをしてくれるサービスです。さいたま市立図書館の場合はホームページから受け付けができ、回答はメールでもらえます。しかも無料です。(全ての公立図書館を調べたわけではないので、やってないところもあるかもしれません。)
その結果、該当する新聞記事があるとの回答をいただいて、資料のある大宮図書館まで行ってきました。過去の新聞は閉架にあり、司書の方にお願いして出してもらいました。下の画像がその記事です。

(出典:埼玉新聞 昭和43年7月26日付2版 7面)

写真を見ると、エンジンカウル、2翅のプロペラ、主翼のライト、引き込み式のランディングギア、垂直尾翼などから、この飛行機はアメリカの練習機「T-6 テキサン」のようです。また、機体の塗装は現役時代のものとは異なるようです。
「T-6 テキサン」は真珠湾攻撃を描いた映画「トラ・トラ・トラ!」(1970年、日米合作)で零戦のプロップとして使われるくらいですから、詳しくない子供なら零戦と見間違えてしまうでしょう。

記事によると、
『飛行機はプロペラの二人乗り練習機で、入間基地の野原に分解されていたのを航空知識の普及と言う名目で無償貸与してもらい、六月二十四日に持ち込んで組み立てた。』
とあります。

「T-6 テキサン」は中間練習機として1955年(昭和30年)から航空自衛隊に180機配備されました。1964年(昭和39年)までにテキサンによる操縦教育は終わり、航空救難機及び連絡機として24機が残され、1070年(昭和45年)までに全機が退役しています。
入間基地は戦前は陸軍の航空士官学校で、戦後米軍に接収されジョンソン基地となり、1958年(昭和33年) 8月、日本に返還され、航空自衛隊入間基地となりました。
1960年(昭和35年)浜松南基地から航空救難隊本部が入間基地に移動してきていることから、この「T-6 テキサン」は入間基地に配備された航空救難機である可能性が高いと思われます。

日本国 航空自衛隊 T-6 テキサン 航空救難機(於 所沢航空発祥記念館)



改めてテキサンを調べ直してみると、ウィキペディアの英語版にコクピット内部の画像がありました。
ああ…このラダーペダル確かに見覚えあるな…。特にペダル面の模様。
前席操縦桿の根元は後席の操縦桿とシャフトで繋がっていて、動きをトレースできるようになっていたはず。子供ながら、なるほどなーと感心した覚えがあります。

(出典:Wikipedia North American T-6 Texan(英語)


その後、VANも成長すると公園には寄らなくなり、テキサンの最後は詳しくはわからないのですが、老朽化して危険と判断されたのか、昭和50年代後半には都電とともに撤去されてしまったようです。
現在の公園の姿です。正面の遊具のあたりに都電の車両が、左の建物の奥のあたりにテキサンが置いてありました。


なんでこんなことを書いたのかというと、VAN以外にもこの公園の飛行機について調べている人をネット上で何人か見かけ、誰も明確な答えにたどり着いていなかったからです。正解を書いておけば、同じ疑問を持った人が検索して、いずれここにたどり着くことでしょう。
また、可能性は低いけど旧軍機だったらおもしろいな、という期待も少しありました。

当時の子供の遊び方といえば、翼の上でバンバン跳ね回るわ、木の棒でつついて機体に穴開けるわ、その穴から砂やら石やら放り込むわ、プロペラぐるぐる回して頭ぶつけるわ、怪我上等、危険極まりないものでした。今の親御さんが見たら卒倒すること間違いなしです。
しかし、VANを含め当時この飛行機で遊んだ子供たちは、ジュラルミンの手触り、黒光りしたプロペラの固さ、コックピット内の埃と油の混ざったような匂いを、実体験として知っています。これはちょっとした自慢です。

(T-6テキサン画像追加:2017/07/02)