まず船体からはじめようと思います。
舷窓モールドを0.5ミリピンバイスで開口していきます。
改装してなくなった前部魚雷発射管部分は兵員室となったそうで
片舷4つずつ舷窓を追加します。

短艇甲板側の舷窓に物差しを合わせて、コンパスの針などでごく薄く中心線をケガキます。


その線に沿って針でガイド穴の中心を決めていきます。


製図用コンパスがあると簡単に等間隔のマーキングができます。
ピンバイスで開口して、バリをペーパーがけしてとる過程でケガキ線は消えてしまいます。


知苦労度さんのHPで指摘されていた、艦首付近の舷窓の抜けも反映させていただきました。
艦首付近下段の舷窓はあとで閉止しますが、まずは0.6ミリピンバイスで開口します。
理由はあとで説明します。


艦首のフェアリーダも0.5ミリピンバイスで開口しました。


予備フロート台を撤去します。
1941年(昭和16年)12月7日0530時、真珠湾に向けて驀進する阿武隈の姿を
左舷後方よりとらえた写真が残っています。
それを見る限りではフロート台はないように見受けられます。
モデルグラフィックスの検証記事の中でも指摘されており、第3煙突後部には
「中型の通風塔が2基、やや小ぶりの通風塔が1基、キャンバスに包まれた構造物と
かまぼこ型の構造物があった。」とされています。
1次資料にあたることができないし、言葉で書かれても配置がピンとこないのですが、
とりあえず無いものとしてその部分は平らにしておこうと思います。

ニッパー、カッターを使って大まかに削り取ります。大穴が空きます。
肉厚なので、カッターが滑って怪我をしないように注意です。


甲板の裏にプラ板を裏打ちして表の穴の部分をプラ板とパテで埋めていきます。


と、ここでなんとなくいやな予感がしたので、
舷側と内側の魚雷発射管を仮組みして上甲板をかぶせてみます。
やっぱりです。裏打ちしたプラ板が魚雷発射管と干渉して上甲板が浮いてしまいます。
この部分のクリアランスはかなりシビアなので注意が必要です。
裏打ちのプラ板をはがして、穴の内寸に合わせてカットしたプラ板を
埋め込むようにしました。これで大丈夫です。


表側は、プラ板をある程度詰め込んだ後パテ埋めしてペーパーがけしました。
その際消えてしまったリノリウム押さえは、のばしランナーで復旧しました。


艦首付近です。金属チェーンに置き換えるのでモールドを削ります。
最終的には隠れてしまうので、あまり神経質になって平らにする必要はないと思います。
キャプスタンのモールドを生かしたかったので、一度ニッパーで切り離した後、
0.2ミリ真鍮線の軸を取付けて復旧しました。


うわっ、なんか長くなっちゃいました…。
簡潔明瞭なブログを目指していたはずなのに…。