軽巡洋艦 阿武隈 キスカ島撤収作戦時を作ったのなら、これも作らなくてはなりません!!
ご存知の方はニヤリとし、知らない方はぽか〜んとなることでしょう。

ご存じない方のために、簡単にエピソードをご紹介します。

 1943年(昭和18年)7月22日、今度こそキスカ守備隊を救おうと、阿武隈以下艦隊は幌筵を出港しますが、特設給油艦日本丸とその護衛を任された海防艦国後は、濃霧のため、出航直後に行方不明となってしまいます。
 7月24日、霧の晴れ間を利用して高角砲の試射をしたところ、その砲声を聞きつけて日本丸が艦隊に合流します。しかし国後は依然行方不明のまま…。
 7月26日、艦隊が濃霧の中を航行していると、阿武隈の右舷の霧の中から突如国後が出現したのです!あわてて回避行動をとりますが間に合わず、国後は阿武隈の右舷に衝突。単縦陣の先頭2番目(※下記参照)を航行する阿武隈が急に減速したため、後続の艦が次々と衝突、大変な事態になってしまったのでした。



……

………

…………

なんというドジッ子ぶりでしょう!!

自分の護衛すべき給油艦ともはぐれてしまい、しかも阿武隈に激突してしまうなんて…、
ドジッ子にも程があります!!
きっと霧の中を彷徨いながら、
「はわわ〜、みなさんどこいっちゃったんですかぁ〜〜#59123;」
とかなんとか言っちゃってたに違いありません!ううん、知らないけどきっとそう!!
これは「萌え」です!!

ドジッ子萌え〜〜!!

とうわけで、制作に入ります。
1/700国後を作りたいのですがキットがありません。
いえ、正確にはレジンキットがあるのですが、ちょっとVANには敷居が高すぎます。
いろいろと調べてみると、艦船模型スペシャル No.27の鶴岡政之氏の記事から、
ピットロードの択捉型海防艦から比較的簡単に改造できることがわかりました。
今回はこの記事を参考にして制作してみようと思います。
この記事には1/350の国後の制作記事もあり(こちらの内容が記事のメインですが)、
国後のディティールを知る上でとても参考になります。
そのほか参考資料としては、ネットで拾った海防艦占守の画像1枚です。
国後は占守型海防艦の2番艦になります。



資料もなく、私自身詳しくもないので、今回はあまり考証にこだわらず、
サクッっと作りたいと思います。サクッとね。

(追記)国後と阿武隈の衝突時の状況は次のとおり。

発生日時は7月26日1744時。その日の日没は1746時、霧中視界500メートル以下

といった状況でした。

事故発生直前の1715時まで、日本丸からの補給を受けており、その隊形は

日本丸−阿武隈−多摩−木曽−以下駆逐艦艇、となっていました。

詳細はアジア歴史資料センターから

「昭和18年7月22日〜昭和18年8月31日 第1水雷戦隊戦時日誌 戦闘詳報(2)」

(レファレンスコード:C08030085000)P.59〜

「阿武隈国後及若葉初霜長波触衝顛末」を参照ください。

(追記終わり)2010/01/31