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奇跡の作戦 [1/700阿武隈]

いよいよ最終回になりました。
旭日旗を揚げて、艦首の菊花紋章を金色に塗って完成です!
いつも最後にこの工程を残しています。
最後にこれをやると「完成した!」って気分になるのです。

大日本帝国海軍 軽巡洋艦 阿武隈 キスカ島撤収作戦時(1943年(昭和18年)7月)
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今回の制作にあたっての反省点を少し挙げます。
1)せっかくプラストライプを買ったのだから、煙突のファンネルキャップ内部に
  整流板を付けるべきだった。
2)セルター甲板下の両舷魚雷調整所は本来貫通しているが、工作を省略するならば、
  ジャーマングレーなど濃いグレーを塗って陰影を付けるべきだった。
3)第3煙突からループアンテナまでの間にある構造物について、
  予備フロート台を撤去しただけで、その他の構造物についての検証が不十分だった。

いずれも工作が終わった後になって気付いた部分です。
やはり着手する前に十分な検討が必要ですね。


最後にキスカ島撤収作戦のあらましを簡単に説明します。
ご存知の方はスルーしてください。本当は初回にやっておくべきでした…。

 1942年(昭和17年)6月、日本軍は北太平洋において、アメリカ領であるアッツ島、キスカ島を占領しますが、すぐさま米軍の反攻を受けます。翌年5月、米軍はアッツ島に上陸。残存の守備隊は、最後にバンザイ突撃を敢行し、玉砕。アッツ島は米軍に再占領されます。
 一方、大本営はアッツ島放棄決定の3日後、キスカ島の撤収を指示、「ケ号作戦」が発動されます。当初は潜水艦による輸送がなされましたが、まったくはかどらず、米軍のレーダー射撃や座礁などにより、1ヶ月で潜水艦3隻を喪失する事態となります。
 そこで、輸送を潜水艦から水上艦艇に変更、濃霧にまぎれてキスカ島に接近する作戦に切り替えます。1943年(昭和18年)7月7日、木村昌福少将を司令官とする軽巡洋艦阿武隈、木曽、他駆逐艦11隻は幌筵を出港、キスカ島を目指しますが、途中霧が晴れてしまい、なかなか突入することが出来ません。燃料の少なくなった7月15日、キスカ突入を断念、幌筵に反転帰投します。
 手ぶらで帰ってきた木村少将への批判は凄まじく、第5艦隊司令部、連合艦隊司令部、はては大本営からも轟々の非難を浴びます。が、木村少将はそれに耐え、じっと次の突入の機会をうかがいます。
 7月22日、幌筵気象台より「7月25日以降、キスカ島周辺に濃霧が発生する」との予報を得た木村少将はその日の夜に幌筵から撤収艦隊を出港させます。
 一方米軍は、8月15日予定のキスカ島上陸作戦に向けて、島周辺の海上封鎖を行っていました。7月26日、戦艦ミシシッピーのレーダーが濃霧の中に艦影を発見、艦隊は直ちにレーダー射撃を開始。40分後、反応が消失したため、敵艦隊を撃滅したと判断。補給のため、艦隊を一時引き上げます。ところがこれはまったくの誤探知であり、ありもしない幻の艦隊を砲撃していたのです。さらに米軍は艦隊を引き上げる際、キスカ島周辺の哨戒にあたる駆逐艦まで引き上げてしまったので、一時的にキスカ島の周辺海域はガラ空きとなったのです。
 それを知ってか知らずか、7月28日、木村少将はキスカ島突入を決意。米艦隊を警戒して、南から直接湾内に向かわずに、島の北側を大きく迂回して、翌7月29日1200時、ついにキスカ湾突入に成功します。1340時投錨。待ち構えていたキスカ守備隊5,200名を、用意した大発でピストン輸送し、わずか55分で収容。1435時、撤収艦隊はキスカ島を出航。8月1日までに全艦無事幌筵に帰投します。
 一方、補給を終えた米艦隊は、7月30日よりキスカ島周辺の封鎖を再開。もぬけの殻となったキスカ島に向けて艦砲射撃を行い、8月15日、艦艇100隻余りを動員して、予定通り上陸作戦を開始します。濃霧と極度の緊張の中、同士討ちが多発。50名余りの死傷者を出して、キスカ島再占領を果たしたのでした。


これは「太平洋奇跡の作戦 キスカ」(1965年 東宝)として映画にもなっており、
木村少将(作品内での役名は違いますが)を、名優三船敏郎が好演しています。
フィクションの部分だとは思いますが、誰も通ったことのないキスカ島の北側沿岸を、
おっかなびっくり操艦する阿武隈の艦長を見かねて、
「艦長、少し舵をもらうぞ」と自ら操艦の指示を出すシーンがとても印象的でした。
特撮パートを円谷英二が担当しており、艦隊が単縦陣で航行する特撮シーンは圧巻です。
ただ、艦の個別の考証はあまりしていないようで、模型の資料としては使えませんが。

誰の言葉か忘れましたが、「戦(いくさ)の神髄は戦わずして勝つことにある」
という言葉を思い出します。
大戦中は様々な大作戦がありましたが、おおむねどれも負け戦です。
戦争に負けたのですから当たり前の話なのですが、
そんな中でも、このキスカ島撤収作戦は、大いなる天の采配があったとはいえ、
希望の光の見える、数少ない不戦の勝利だったと思うのです。

軽巡洋艦阿武隈を作る 完

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…ん? 阿武隈の右舷に見える艦影はもしかして…。
逃げてー!!阿武隈逃げてぇぇぇー!!

次回、緊迫の急展開!? 刮目して待て!!


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コメント 2

知苦労度

こんばんは。
「阿武隈」完成おめでとうございます!
これは力作ですね~。ウェザリング塗装も素晴らしいです。
適度な細部ディテールアップと鋭い考証をされておられ、毎回制作記事を拝見するのが楽しみでした。
今まで、模型誌やWeb上でキスカ島撤収作戦時の「阿武隈」の作例はほとんど無かったかと思いますので、制作に色々苦労されたのではとお察しします。
私も制作途中で放置中の「木曽」や「島風」があります…ので、キスカ島撤収作戦時の再現に挑戦してみようかな…(笑)。

最後に一言、


クナシリ━━━━(゚A゚;)━━━━ダ !!!
by 知苦労度 (2009-07-12 23:05) 

VAN

>知苦労度さま

ありがとうございます。
正直、ウェザエリングは今回ちょーテキトーだったので
そんな風に言われてしまうと、ちょっと恥ずかしいです。
あれですよ、写真マジックってやつですよ。きっと。

キスカ島撤収作戦時はやってみると地味〜な改造ばかりなので、
あんまり見栄えのするものでもないので、作る人もいなかったのでしょう。でも検証する作業は楽しかったですよ。自分の知識が増えてゆくのはいいものです。(無駄知識ばかりですが)

木曽、島風、どちらもかっこいいですね。特に島風の「1隻しか建造されなかった試作型高速駆逐艦」という肩書きに、なにか熱いモノを感じてしまいます。ぜひ挑戦してみてください。楽しみにしてます。
by VAN (2009-07-14 21:44) 

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