旭日旗!

菊花紋章!

そしてZ旗!


以上を取付け、戦艦三笠、完成しました!


大日本帝国海軍 戦艦 三笠 明治38年5月 日本海海戦時
IJN BB MIKASA (may 1905)







各部詳細






艦首の菊花紋章はラーセナルのエッチングパーツを使用しました。
防錆効果を期待して取付後、表面にクリアを塗りました。


艦尾スタンウォークにはネームプレートを作って取付けました。
エッチングパーツのフレームから真鍮板を切り出して、
グレーを塗装した後、ケガキ針で文字をスクラッチして金色の下地を出してみました。
あまり上手にできませんでした…。


大きさはそれほどでもないですが、作りごたえのあるキットで、かなり楽しめました。
マストの張り線は、やろうかやるまいか最後まで悩みましたが、やらないことにしました。
マストの強度の問題と、技術的にまだ未熟であるためですが、
いずれは挑戦してみたいです。

反省点です。
1)前部及び後部艦橋の組立て手順をもう少し検討するべきだった。
   擦り合わせ、誤差の追い込みに苦労しました。
   結果として十分に追い込み切れてません。
   もう少し組立て手順に検討の余地があったと思います。
2)クロスツリーの形状が違う。
   気がついたのが、マストを船体に取付けた後だったので、修正しませんでしたが、
   クロスツリーの三角状の板の枚数が違いますね。本当は各マスト毎に6枚です。
   後檣の舵柄信号標識板の取付けてある三角板も斜め前方に張り出していますが、
   もっと両舷に開いた感じになってるはずです。
3)艦尾側ラジアルダビットについて。
   艦尾側舷側にあるラジアルダビット4組について、キットパーツを細く磨いて
   舷側に取付けましたが、なんとなくもっさりとした印象になってしまいました。  
   ここは0.3ミリ真鍮線等で作り直した方がすっきりとした感じになると思います。
4)通風筒基部の形状が違う。
   最新の考証だそうですが、上甲板から直立する通風筒基部のダクト断面は、
   丸ではなく四角だそうで、途中で角-丸レジューサーで変換され、
   なおかつ、大きく偏芯しているようです。
   この事実に接したのが、13日日曜で、すでにほぼ完成状態だったため
   手をつけていません。
   改造箇所が完成後にはほとんど見えなくなる位置にあるため、
   外観上それほど大きな変化は与えないと思いますが、
   当時の状態を完璧に再現したいという方には
   やってみる価値のある改造だと思います。

   
   



ドーリア式を模した柱を持つこの建物は、
広島県江田島の海上自衛隊第1術科学校内にある教育参考館です。
かつての海軍兵学校があった頃からあるこの建物には、
現在、特攻で命を落とした兵士の遺書や遺品、その他様々な戦史資料が納められています。
画像は2006年VANが見学に行った時のものです。

正面の入り口を入ると、赤い絨毯が敷かれた白亜の階段が奥へと続いており、
階段を昇り切ると、木製の両開きの扉に突き当たります。
この扉の奥に、英国海軍ネルソン提督、山本五十六元帥、そして東郷平八郎元帥
3人の遺髪が納められています。
扉には、日本海海戦の様子が片側4枚計8枚のレリーフになって刻み込まれています。
その一番右上のレリーフには、有名な「皇国の興廃此の一戦にあり各員一層奮励努力せよ」
の文字が刻まれています。
そして左上のレリーフにはこう刻まれています。

「勝って兜の緒を締めよ」

日本海海戦の勝利は多くの人々を歓喜させ、奮い立たせたことでしょう。
しかし、その後の日本の辿っていった道を振り返るとき、
VANは、この言葉こそ日本海海戦最大の戦訓だったのではないかと思うのです。




戦艦三笠を作る ー完ー