デカールと張り線を少し、最後に軍艦旗を艦尾に掲げて完成です!

大日本帝国海軍 千鳥型水雷艇「千鳥」(昭和8年就役時)
IJN CHIDORI-class torpedo bort CHIDORI (comissioned in 1933)









大日本帝国海軍 千鳥型水雷艇「真鶴」(昭和10年改修時)
IJN CHIDORI-class torpedo bort MANAZURU (repaired in 1935)















反省点
今回の制作にあたっては、全体のバランスを考えて、船体を修正しました。
艦首フレアやバウ形状の修正、就役時バルジの追加、アンカーリセス位置の修正、艦橋構造物の修正はある程度うまくできたと思います。
ただ、上部構造物については、改めて見てみると煙突廻りのバランスが悪く、自作した煙突が短く感じます。缶室給気フードの厚みを0.5mm多くしましたが、これがいけなかったようで、艦橋高さとバランスをとるため煙突を縮めた結果短くなってしまいました。もうこれ以上手を加えることはしませんが、缶室給気フードの厚さはキットそのままにして、煙突長さを0.5mm増加するとよりバランスが良くなるでしょう。
また今回のもうひとつの目標として、改造を通して工作スキルの向上を目指しましたが、艦橋基部のスクラッチ、就役時主砲の複製等を通してある程度達成できたと思います。今後はより正確で丁寧な工作スキルの向上を目指していきます。
デカールのシルバリングを抑えるため、ツヤ消しクリアを薄く吹きましたが、湿度が高かったせいかやや白っぽくなってしまいました。
今回艦尾掃海具にファインモールドのナノドレッドシリーズを使用しましたが、単品としては非常に精密で良いのですが、今回使用したピットロードのキットはあっさりしているので、十分にディティールアップをしないとキットから浮いてしまう印象です。全体の統一感を考えれば、付属のエッチングでも良かったかもしれません。


前作「初春」に続いて、同時期に建造されたトップヘビーな千鳥型水雷艇を作ってみました。
大型艦の建造を制限されたロンドン海軍軍縮条約下において、千鳥型水雷艇は、排水量の小さな艦に重武装を詰め込んだ苦肉の策でしたが、1934年(昭和9年)3月12日、佐世保沖において、訓練中の3番艦「友鶴」が大波を受け転覆、艦長以下100名死亡という大惨事が発生してしまいます。これによって千鳥型水雷艇を含む全ての艦艇について復元性能の再検討を行うこととなりました。昭和9年から10年にかけて千鳥型水雷艇は大改装を行い、復元性能の改善が行われ、これ以降海軍艦艇の転覆事故はなくなりました。
事故の主な要因として、軍令部からの無理な要求、その要求を安易に飲んでしまったこと、設計、造船技術の未熟さ、等があげられます。
大きな犠牲を払って得た教訓でしたが、1936年(昭和11年)1月15日にロンドン海軍軍縮条約を脱退。これによって水雷艇という艦種に縛られる必要がなくなり、建造は千鳥型、鴻型合わせて12隻にとどまっています。

参考文献:失敗知識データベース「水雷艇友鶴の転覆」

最後はトップヘビーな「初春」と共に。


千鳥型水雷艇を作る ー完ー