最終回です。舷側の艦名デカールを貼って、前檣に日章旗を揚げて完成です!

日本国 特別輸送艦 雪風 1946年(昭和21年)
Japanese special cargo ship YUKIKAZE (1946)




艦橋上部3m測距儀の先端は白く塗られていたようなのでそのようにしてみました。


実際、仮設居住区上部に天蓋用のキャンバスが
このように放置されていたかはわかりません。それっぽく見せるための演出です。





漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である水木しげる先生も、
この雪風に乗って帰ってこられたそうです。



雪風(就役時)、雪風(天一号)と並べてみます。


整合性が取れていないとこがありますね…。そのうち修正しなくては…。



資料が少なくわからない部分は想像でこなしたので、半分くらいは架空艦です。
ですのであまり資料的価値はありません。念のため。
今回の制作にあたっては、試してみたいと思っていたことや、
いままで気づいていながらも手をつけてなかった点を取り入れて制作しました。
前檣の半自作、仮設居住区の箱組みは、次の丹陽制作に向けての練習になりました。
アンカーリセスの修正、フェアリーダーの追加、蒸気捨て管の先端形状修正、
キセル型通風筒の制作などはおおむねうまくいったと思います。
反省点は、瞬間接着剤の取り扱いがあいかわらず上達しないところです。
今回は特に舷外電路接着時に接着剤がはみ出して外観が良くないです。
箱組みの精度ももう少し上げないといけません。仕上がりが雑です。


アジア歴史資料センターにいくつかの復員輸送に関する報告書が公開されています。
雪風そのものの報告書はありませんでしたが、
復員輸送がどのようなものであったかを断片的に知ることができます。

終戦後の復員兵や民間人の置かれた状況は、場所によって様々だったようです。
北支・満州方面からの復員輸送の報告書には、
聞き取りによって当時のソ連軍八路軍の状況や満州人の対日感情の変化などが
詳細に報告されており、復員輸送には、戦後の大陸の情報を収集する
役割があったたことも伺わせています。
また、南方からの報告書には、武装解除に応じず密林の中に潜伏している
兵が数名いること、帰還する者は皆、本土がどうなっているのか
とても知りたがっていたことなどが記されています。

報告書を見る限りでは、戦後、海軍より復員輸送の任を受け、
第二復員省に引き継がれた後も、従事する船員は戦争に負けたからと言って
決して手を抜くことなく、皆最後まで真面目に任務に当たっていたようです。
日本人らしい一面だとVANは思います。
雪風もまた、多くの将兵や民間人を内地に送り、
立派にその務めを果たしたのだと思います。

遠く離れた戦地から復員船に乗り、故国日本の島影が見えたとき、
どんな思いだったのでしょうか。


特別輸送艦雪風を作る ー完ー