1月17日の記録 [雑記]
今回はまったく模型とは関係のない記事です。
模型記事の更新と思って来られた方には申し訳ありません。
このエントリは読み飛ばしてください。
1995年(平成7年)1月17日。この日、VANは兵庫県明石市にいました。
以下は地震発生から2日後、兵庫区にある会社の事務所の確認と
長田区の友人の安否確認に行った際の記録です。
阪神淡路大震災の記録(1995年(平成7年)1月19日〜20日)
A Document of Great Hanshin earthquake (Jan. 19-20, 1995)
阪神高速3号線。
激しい縦揺れにより鉄筋コンクリート製の橋脚が圧縮され座屈している。
鋼製の橋脚にも歪みが生じている。地震で橋桁が跳ねたものと推測。
湊川ジャンクション付近。橋桁が脱落。
震災発生後3日目で、仮設の鋼材を組み倒壊を防ぐ措置が始まっていた。
長田区。絶句。言葉もない。
直下型の激しい縦揺れにより建築物の損傷も大きい。
1階が店舗や駐車場などになっている、いわゆる「下駄履き建築」は
軒並み1階部分が潰れていた。
警察の救助隊。撮影は午前7時頃だったと記憶。
誰かが埋まっているという情報を得ては現場に向かっていた。
自衛隊も到着し救助が始まっていた。
学校の校庭に設営された仮設テント。
長田警察署前。前が広い道路になっているが、前後が寸断され道路として機能せず
警察、消防、自衛隊等、緊急車両の駐車スペースになっていた。
長田神社の鳥居。
明石海峡大橋はこの時まだ建設中だった。
この地震で橋脚の間隔が1mずれた。
地震発生時刻で止まったままの時計。
ブログという、個人と世界をつなぐ手段を得て以来、
いつかはこの記録を公開したいと思っていました。
本日ネット上に公開します。
あっ長田の友人は無事でしたよ。最後の写真、時計の下の後ろ姿の彼がそうです。
模型記事の更新と思って来られた方には申し訳ありません。
このエントリは読み飛ばしてください。
1995年(平成7年)1月17日。この日、VANは兵庫県明石市にいました。
以下は地震発生から2日後、兵庫区にある会社の事務所の確認と
長田区の友人の安否確認に行った際の記録です。
阪神淡路大震災の記録(1995年(平成7年)1月19日〜20日)
A Document of Great Hanshin earthquake (Jan. 19-20, 1995)
阪神高速3号線。
激しい縦揺れにより鉄筋コンクリート製の橋脚が圧縮され座屈している。
鋼製の橋脚にも歪みが生じている。地震で橋桁が跳ねたものと推測。
湊川ジャンクション付近。橋桁が脱落。
震災発生後3日目で、仮設の鋼材を組み倒壊を防ぐ措置が始まっていた。
長田区。絶句。言葉もない。
直下型の激しい縦揺れにより建築物の損傷も大きい。
1階が店舗や駐車場などになっている、いわゆる「下駄履き建築」は
軒並み1階部分が潰れていた。
警察の救助隊。撮影は午前7時頃だったと記憶。
誰かが埋まっているという情報を得ては現場に向かっていた。
自衛隊も到着し救助が始まっていた。
学校の校庭に設営された仮設テント。
長田警察署前。前が広い道路になっているが、前後が寸断され道路として機能せず
警察、消防、自衛隊等、緊急車両の駐車スペースになっていた。
長田神社の鳥居。
明石海峡大橋はこの時まだ建設中だった。
この地震で橋脚の間隔が1mずれた。
地震発生時刻で止まったままの時計。
ブログという、個人と世界をつなぐ手段を得て以来、
いつかはこの記録を公開したいと思っていました。
本日ネット上に公開します。
あっ長田の友人は無事でしたよ。最後の写真、時計の下の後ろ姿の彼がそうです。
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