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船体の工作 [1/700子日]

「日本駆逐艦史」p.103に就役直後の「子日」「初春」の写真が2葉掲載されています。キャプションによれば「昭和8年10月初旬佐世保」にて撮影されたものとされています。この時点で「子日」「初春」とも、すでに舷側のバルジが追加され3番魚雷発射管が撤去されていることが画像から確認できます。2隻は横付け作業をしているようです。
800px-Nenohi_II.jpg
(画像出典:Japanese destroyer Nenohi - Wikipedia

港泊日誌を追ってみると、「初春」が1933年(昭和8年)9月30日佐世保で就役した後、10月7日に「子日」が佐世保に入港して「初春」と合流しています。「子日」「初春」の横付け作業は10月14日と16日に行われています。
VANは、以下2点の理由からこの写真は10月16日に撮影されたものではないかと推測します。
(1)横付け作業中に雨が降っていたことが港泊日誌に記録されており、写真では甲板作業を行う乗組員がレインコートを着ているように見える。
(2)この日、「子日」「初春」2隻を佐世保鎮守府長官が訪れて巡視を行っている。巡視終了後、後甲板にて総員集合写真を撮影していることから、写真技師が随行していた可能性が高く、横付け作業の時点から長官巡視の様子を記録していたと推測できる。

資料によっては、「子日」「初春」は『就役直後にバルジを装着した』と記述するものもありますが、9月30日の就役以降10月16日まで、「初春」は一度も入渠していないことから、その記述は誤りであると思います。



「子日」は引き続き船体の工作です。基本的には「日本海軍小艦艇ビジュアルガイド 駆逐艦編」に記載されている改造ポイントを踏襲しています。こういう本があると本当に助かります。

甲板上の不要になるガイド穴をプラ材で埋めます。
舷側の凸モールドは全部削ることにしました。やはり実物で見えないものを見える、というのは不誠実であると思います。。
DSCN8379.jpg

船首楼後部を艦橋構造物の幅の分だけカット。
DSCN8423.jpg

プラ材とパテで1番煙突前部を延長。
DSCN8381.jpg

甲板上に配置するとこのような感じになります。
DSCN8383.jpg

両舷にバルジを取付けます。せっかくの舷側フレアが隠れてしまってもったいないのですが仕方ありません。このフレアが再び現れるのは、さらなる大改装を終えた1934年(昭和9年)7月下旬以降になります。
実物では、両舷に厚さ30cmのバルジを取付けていたので、1/700だと約0.43mmになります。そのような微妙な厚さのプラ板はないので、近似的に0.5mm厚プラ板を使用します。
DSCN8398.jpg

後はパテを盛り、面の連続性を意識しながらひたすら削ります。サーフェイサーを吹いて傷や段差をチェックします。
0.5mm径ピンバイスで舷窓のモールドをさらいます。舷窓位置と数は、実物画像で確認して一部変更しています。
DSCN8425.jpg
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