プレイバック湾岸戦争 [雑記]
昔録画したビデオテープがたくさんあるのですが、1台あるビデオデッキもいつまでもつかわからないし、見ないものはいい加減捨ててしまおうと思い、少しずつ処分しています。そんな中でも残しておいた方がいいな、と思う内容はブルーレイに焼いて保存しています。
先日、1991年1月17日録画の湾岸戦争開戦を報じるニュースのビデオが出てきて、興味深い内容でしたのでご紹介します。
なお、ビデオキャプチャーできる環境に無いため、テレビ画面をデジカメで直接撮影しています。
1991年1月17日午後7時のNHKニュース
この時報が懐かしい。
松平アナ若っ!
この日、アメリカを中心とする多国籍軍は「砂漠の嵐」作戦を発動。イラクに向けて空爆を開始します。
イラクのフセイン大統領はラジオで聖戦(ジハード)を呼びかけます。
「なうあー」でおなじみ日高レポートの日高義樹さん。当時はNHKのワシントン特派員でした。
この後NHKワシントン総局長まで務め、退職後は記者時代の人脈を生かし、アメリカの保守系シンクタンク、ハドソン研究所の客員上級研究員になります。
アメリカ合衆国第41代大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ。
第43代大統領、ジョージ・W・ブッシュ(ジュニア)のお父さんです。
ディック・チェイニー国防長官は後のブッシュ(ジュニア)政権で副大統領を務めます。
コリン・パウエル統合参謀本部議長。
彼もまた後のブッシュ(ジュニア)政権で国務長官を務めることになります。
ソヴィエト社会主義共和国連邦「最初で最後の大統領」ミハイル・ゴルバチョフ。
この後、4月に訪日したりしますが、8月に共産党守旧派のクーデター事件が元でソ連は崩壊。この年の12月25日にあっけなく消滅します。
時の日本の首相は海部俊樹。
湾岸戦争開戦を受けて、政府は安全保障会議と臨時閣議を招集し対応を協議します。
政府は国連安保理決議を受け、湾岸地域の難民対策として、救援物資の供与や航空機など輸送手段の提供を行うため、民間機の使用や自衛隊機の派遣も検討する方針を打ち出します。
このとき、輸送に使用可能な自衛隊機はC-130輸送機のみでした。B-747政府専用機はまだなく、この年の9月に1号機を受領することになります。
野党各党党首と会談し法案成立の協力を要請しますが、野党各党は反対。
政府と野党「社民連」江田五月代表との会談。後ろに映っているのは後の首相となる菅直人。
この後、政府は自衛隊機を海外派遣するための「国連平和協力法案」をまとめ審議しますが、野党の反対や内閣法制局の憲法解釈により廃案。民間機の使用も国内航空会社は労組の反対で頓挫、結局アメリカの航空会社の機体をチャーターして行うことになります。
イラクが停戦を受け入れた後、ペルシャ湾に派遣される掃海部隊が、戦後初の自衛隊の海外派遣になります。
バブル崩壊直後とはいえ、日経平均はまだ2万越え。しかも戦争は早期に終結するとの観測を受けてこの日の終値は1000円を超える上げ幅です。
原油が安いっ!現在は1バレル80ドルくらいです。この日の為替相場は1ドル=134円くらいでした。
1991年1月19日午後7時半からの「ニュースセンター特集 湾岸戦争」
開戦から3日目。前日にイラクは突如イスラエルに向けて多数の短距離弾道弾を打ち込みます。
フセインはイスラエルを戦争に引き込み「アラブ対ユダヤ」の構図を作り出そうとしますが、イスラエルは踏みとどまり、この目論見は失敗に終わります。
着弾した弾頭が化学兵器であることを恐れているのがわかります。
軍事アナリスト、故江畑謙介氏の鮮烈なメジャーデビューでもありました。
ソ連軍のえらい人がNHKのインタビューを受けこんなことを言っています。
「砂漠の嵐」作戦の後、地上戦「砂漠の剣」作戦が行われますが、1ヶ月以上にわたる大規模空爆により戦意を喪失したイラク地上軍は、この元帥の予想に反し大量の投降者を出して潰走します。
番組の最後にイスラエル外務省とスタジオを電話でつなぎ、現地の様子をインタビューしていますが、答えている人は現在のイスラエル首相ですね。この時は外務次官でした。
あらためて振り返ってみると色々な発見があるものです。
次回からまた艦船模型に戻ります。
先日、1991年1月17日録画の湾岸戦争開戦を報じるニュースのビデオが出てきて、興味深い内容でしたのでご紹介します。
なお、ビデオキャプチャーできる環境に無いため、テレビ画面をデジカメで直接撮影しています。
1991年1月17日午後7時のNHKニュース
この時報が懐かしい。
松平アナ若っ!
この日、アメリカを中心とする多国籍軍は「砂漠の嵐」作戦を発動。イラクに向けて空爆を開始します。
イラクのフセイン大統領はラジオで聖戦(ジハード)を呼びかけます。
「なうあー」でおなじみ日高レポートの日高義樹さん。当時はNHKのワシントン特派員でした。
この後NHKワシントン総局長まで務め、退職後は記者時代の人脈を生かし、アメリカの保守系シンクタンク、ハドソン研究所の客員上級研究員になります。
アメリカ合衆国第41代大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ。
第43代大統領、ジョージ・W・ブッシュ(ジュニア)のお父さんです。
ディック・チェイニー国防長官は後のブッシュ(ジュニア)政権で副大統領を務めます。
コリン・パウエル統合参謀本部議長。
彼もまた後のブッシュ(ジュニア)政権で国務長官を務めることになります。
ソヴィエト社会主義共和国連邦「最初で最後の大統領」ミハイル・ゴルバチョフ。
この後、4月に訪日したりしますが、8月に共産党守旧派のクーデター事件が元でソ連は崩壊。この年の12月25日にあっけなく消滅します。
時の日本の首相は海部俊樹。
湾岸戦争開戦を受けて、政府は安全保障会議と臨時閣議を招集し対応を協議します。
政府は国連安保理決議を受け、湾岸地域の難民対策として、救援物資の供与や航空機など輸送手段の提供を行うため、民間機の使用や自衛隊機の派遣も検討する方針を打ち出します。
このとき、輸送に使用可能な自衛隊機はC-130輸送機のみでした。B-747政府専用機はまだなく、この年の9月に1号機を受領することになります。
野党各党党首と会談し法案成立の協力を要請しますが、野党各党は反対。
政府と野党「社民連」江田五月代表との会談。後ろに映っているのは後の首相となる菅直人。
この後、政府は自衛隊機を海外派遣するための「国連平和協力法案」をまとめ審議しますが、野党の反対や内閣法制局の憲法解釈により廃案。民間機の使用も国内航空会社は労組の反対で頓挫、結局アメリカの航空会社の機体をチャーターして行うことになります。
イラクが停戦を受け入れた後、ペルシャ湾に派遣される掃海部隊が、戦後初の自衛隊の海外派遣になります。
バブル崩壊直後とはいえ、日経平均はまだ2万越え。しかも戦争は早期に終結するとの観測を受けてこの日の終値は1000円を超える上げ幅です。
原油が安いっ!現在は1バレル80ドルくらいです。この日の為替相場は1ドル=134円くらいでした。
1991年1月19日午後7時半からの「ニュースセンター特集 湾岸戦争」
開戦から3日目。前日にイラクは突如イスラエルに向けて多数の短距離弾道弾を打ち込みます。
フセインはイスラエルを戦争に引き込み「アラブ対ユダヤ」の構図を作り出そうとしますが、イスラエルは踏みとどまり、この目論見は失敗に終わります。
着弾した弾頭が化学兵器であることを恐れているのがわかります。
軍事アナリスト、故江畑謙介氏の鮮烈なメジャーデビューでもありました。
ソ連軍のえらい人がNHKのインタビューを受けこんなことを言っています。
「砂漠の嵐」作戦の後、地上戦「砂漠の剣」作戦が行われますが、1ヶ月以上にわたる大規模空爆により戦意を喪失したイラク地上軍は、この元帥の予想に反し大量の投降者を出して潰走します。
番組の最後にイスラエル外務省とスタジオを電話でつなぎ、現地の様子をインタビューしていますが、答えている人は現在のイスラエル首相ですね。この時は外務次官でした。
あらためて振り返ってみると色々な発見があるものです。
次回からまた艦船模型に戻ります。
まだ生まれる前です。笑
by さっちゃん (2014-11-02 13:15)
がーん!
おじさんにとってはつい最近の出来事だと思ってたのですが…。
by VAN (2014-11-03 22:27)
確かに、この日のニュースのオープニングに出ていた時計はクイズ100人に聞きましたのトラベルチャンスや、連想ゲームの1分ゲームでも使われたような気がします。
by まりい (2015-04-04 20:53)
まりいさま、はじめまして。
おお、クイズ100人に聞きましたでも使ってましたか。見てたはずなんですが思い出せません…。(笑
by VAN (2015-04-06 23:34)